魂が辿る冒険心
こんばんは、筆者のザ・クスノキです。
BEST of SUPER Jr26真っ最中、ジュニア選手達の熱い激闘が繰り広げられています。
そんな中、私のブログは現在YOH選手にフォーカスを当て記事を更新中、私自身も熱い記事を頑張って継続できたらと奮闘です。
さて、今回も前記事からのつづき記事となります。小松洋平の物語、前編・中編ときまして遂に後編大突入。まさかの三本立てとは私自身も驚きです。
『新日本プロレスを物語る!』とうい当ブログを始めてから、一人の選手で三本以上の記事になるのはケニー・オメガ、ジェイ・ホワイト、ザック・セイバーJrにつづきこの小松洋平が四人目です。
外国人選手のシリーズが続く中、ここでなぜYOH選手をピックアップしたかはYOH選手自身の今回発信した発言によるもの、それは「生え抜き」という言葉。この言葉を軸に前編から流れる様にお届けしております。
前編~中編をまだ未読の方はぜひそちらもお目を通して頂けたら今回の記事への導入がより一層濃いものになるは確実です。
※前編はこちら→【消えない魂】
※中編はこちら→【魂の所在】
生え抜きとは言ってしまえば精神性の価値観です。言葉にすればたったの四文字、しかしこの四文字に詰め込まれたストーリーは容易には代えのきかない新日本プロレスにおける歴史の産物であり、不可逆の時間軸。昔も今もこれからも、新日本プロレスにおける選手の序章を担保するもの。
しかし現在の新日本プロレスという大河ドラマは新日本プロレス生え抜き選手に限らず、移籍からキャリアを積み上げ新日本を盛り上げる者、フリーでスポット参戦によりインパクトをもたらす者、団体間による業務提携の流れからシリーズ参戦をしてくれる者、もはや選手の立場は多方面からなり、生え抜き選手だけでは物語の全てをカバーできません。
それだけ新日本プロレスという団体は世界規模なエンターテイメントの大海原に道を求めだしたということ。それがいかなるプロレス新時代を呼び込むかは進んでみなければ明確には分からないでしょう。
ですが、だからこそ何か一つでもはっきりとした今も昔もこの先も、不変的な消えない灯火が欲しい。
それは何なのか。
物語の基盤は何でしょうか?
物語の起点は何でしょう?
物語が放物線を描く時の支えとは何ですか?
序章です。
物語の序章というやつです。キャラクターの活躍も、結末へ向かう構築の一途も、序章から始まるしかないのです。
その物語の序章を大切に扱う選手がいます、そう、今回のYOHもその一人です。
YOHにとって自身の物語の序章はヤングライオン時代となり、そのヤングライオン時代を終えたのちも自身を裏付ける魂として宿しています。
ヤングライオン魂、これについては前回の中編で改めて書き直しました。
熱を込め、私も中編では入魂記事を頑張って書いたつもりです。新日本プロレスをまだあまり知らない人や、プロレスそのものに興味を持ったばかりの人達にも何か熱いものを感じ取ってもらえる様に書いたつもりでしたがいかがだったでしょうか。
中編では「生え抜き」のテーマのもとヤングライオンに焦点を絞って書き綴りましたが、後編ではYOH(小松洋平)選手そのものの魅力が更に引き出せるように書き上げさせて頂きます。
さあ後編を始めましょう。
後編ではまず、ヤングライオンとしてデビューを果たした続きからのYOH(小松洋平)選手を書き記していきます。
2012年の11月にデビューを果たしたそれから約一年後、ジュニアタッグトーナメントへの初エントリーを迎えます。
この時のパートナーはKUSHIDA選手でしたが一回戦敗退、結果は残せず。
しかし翌年の東京ドームではダークマッチとはいえ初レッスルキングダムへの参戦も経験。
そしてその翌年2015年5月、BEST OF SUPER Jrに遂に初エントリー。
デビューから2年半の時間が経過しました。
ここまでは来歴をさらっとなぞる程度でしたが、小松洋平のヤングライオン時代におけるあるインパクト事件をここでご紹介。
2015年の11月17日、新日本プロレスが久々に他団体との交流戦を発表、DDTプロレスリングの後楽園大会に参戦する形に。
参戦する選手はエース棚橋、そしてなんとここでヤングライオンの小松洋平が異例の大抜擢。エース棚橋とヤングライオン小松のタッグでDDTへ乗り込む形になります。
生え抜き先輩後輩タッグの結成です。
DDT側も迎え討つかの様に出し惜しみ無くDDTのエースHARASHIMA選手&大家選手を選出。
交流戦という名目上、お祭り的雰囲気の和やかな舞台となるかと思われましたが、やはり団体と団体のエースが激突するシチュエーション。このシチュエーションは選手も観客もヒートアップを駆り立てられたのは言うまでもありません。
しかし会場はDDT主催。会場の観客もDDTファンが大多数を占め、新日本プロレスはDDTプロレスリング視点による“外敵”という立場に自然となってしまう。今ではめっきり減ってしまいましたが、この時は団体対抗戦の様相が少なからず産まれたのです。
そして、驚くことにこの団体対抗戦という火付けに一役買ったのがなんと小松洋平でした。
この対DDT戦において、小松洋平はヤングライオンの枠を越える程のパフォーマンスを見せ、良い意味でそれまでのヤングライオンのイメージを覆すかの様に自身の評価を上げたのです。
当時の試合映像をご覧頂ければよく分かるのですが、とにかくこの時の小松は立ち振る舞いが生意気かつ嫌味で、それでいてどこかクレバーな気品も合わせ持つ。
そして何よりも、危険な香りも漂わせるという冷静と情熱のナイスな間。
小松自身の中に宿す純度100%の新日本プロレス、すなわち生え抜きであることの意地が外敵としての役割をこなす状況の中である種の予想外で異形な顔を覗かせたと言えるのでしょう。
現在のYOHとは全く違う雰囲気です。現在のYOHの晴れやかで燦々のイメージとは全くの別人と言い切って大袈裟ではない程に。
この対DDT戦における小松洋平は彼の中にある強さ、怖さ、賢さを最高の案配でリング上に落とし込んだ傑作だったと私はこの時感じました。
小松洋平への評価と期待値は急上昇しこの選手が将来、“海外修行から帰ってきた時には大化けするのではないか”、“とんでもない大物になるのではないか”、物語の序章から次なる展開へ向けて最高の滑り出しです。
が、しかし。
まさかその小松洋平が六本木3Kというチーム名でYOHというスタイルになるとは誰が思いますか…?
プロレスラーのキャラメイクは本当に奇想天外、摩訶不思議。アドベンチャーと言わざるを得ない。
なぜそっちなんだ?なぜその方向??彼が選んだ冒険心に脱帽です。
おっと失礼。
ここで六本木3Kはまだ早かったですね、時系列を優先させて記事の進行を急ぎましょう。
2015年のDDT戦で起きた小松インパクト。試合自体はHARASHIMA選手の必殺技蒼魔刀によって新日本プロレス側の敗戦となりましたが、結果的には小松インパクトが余韻を残してしまうという嬉しい誤算に。
こう考えてみるに、いつもとは違った状況下を用意すれば選手もそれに応えるべくして秘められた資質を披露するに至ると考えられるわけですね。
頻度は絞るという節度を保ちつつ、たまの団体対抗戦の様な特異なシチュエーションは選手の刺激策として有効であり、後に物語を振り返る時に話を広げやすい。
ただし二度言いますが、他団体との接触は一種のカンフル剤でありますしそれには副作用が伴いますから頻度は極力の抑制を強いるべきです。
この団体対抗戦を含めた他団体の接触については、また違うテーマの記事の折りにガッチリしっかり書く予定ですので、今回は残念ながら泣く泣くカットします。
小松インパクトの翌年2016年の1月、遂に待望の海外遠征が会社から通達されます。この時既に20代の後半に差し掛かっていた小松にとっては若干遅めの海外武者修行といった所でしょうか。
海外遠征先はメキシコのCMLL。
同期の田中翔(現SHO選手)も2人セットでの海外遠征でした。同時にヤングライオンの卒業を意味し、2人は風神・雷神にリングネームを変え海外の地で戦いを開始します。
Yohの「いい風ふかせます!」やShoの「シビれようぜ」はこの風神・雷神時代の名残を生かそうというやり方と言えるでしょう。
この年の9月、2人はメキシコCMLLからアメリカROHに海外遠征の場を移します。そしてまたもリングネームを変え今度は“TEMPURA BOYZ”というまたも日本的な分かりやすいネーミングをチョイス。
これは試行錯誤なのか、それとも迷走なのか。はたまたヤケクソなのか…。
細かい事は気にしないとしましょう。過敏になるよりは行動と自信、修正は後回しでもさほど問題はありません。ここで何かを得てして、ピースがうまく嵌まらなければ捨ててまた試す。物語の羅針盤を組み立てる作業を行えばいい。
海外遠征経験は着実に積み上がっていく小松。タッグチームとしてのイロハを学び自分達のオリジナルを暗中模索する、これもまた物語の構築には欠かせない絶対必要条件です。
2017年の10月、両国国技館。
小松洋平はYOHに名前を変え、SHOと共に電撃凱旋帰国。
ロッポンギ3Kの誕生。
羅針盤が示した方向は本人にとって予想外だったのでしょうか?それとも想定内だったのか。
憧れのマスクマンではなく、DDT戦で見せた独特のヒール感でもなく、小松が選んだのはロッポンギ3Kというキャラクター。
面白い。改めて見返すと本当に面白い。部分的に切り取るのではなく、こうやって全体を読み進めいくとなかなか味わい深い面白さです。
これじゃあ後編の記事がなかなか書き終わりません。一体どうなっているのですか?小松洋平をピックアップしてみたものの、なぜなかなか締める事ができないのでしょうか?
私も小松洋平の凱旋帰国の如く、恐縮ながら予想外をご披露致しましょう。
そうです、続・後編です。
聞き逃した方へもう一度。次は
続、後編です。
「小松洋平の物語、続・後編」を次回の記事にてお届けします。
私の中に良い風が吹き抜ける。
後編は、まだ終わりません。
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