こんばんは、筆者のザ・クスノキです。
前回記事から引き続き、『アンチ・ユニットのすすめ』の記事です。
今回は後編となります。
後編でもカール・フレドリックスの意味深かつ期待大のバックステージのコメントを引用しながら進めていきましょう。
「俺はそんなやつにはならない」
そんなやつ?
さてそんなやつはとはどんな奴を指すのでしょうか。前回の記事をお読みなって頂いている方ならもちろんすぐにピンとくる事でしょう。
まだ【前編】の記事を読んでおられない方はお手数ですが是非とも先にそちらを読んでからこの後編へ一気読み突入をしてもらえたらと思います↓↓
そんな奴、?
新日本プロレスという大いなる舞台に現れ、観客のボルテージを一身に背負ったはずが、一か月あまりでユニット加入を選択してしまった選手を指すのでしょう。
「降伏して首を差し出し、誰かに従うヤツになんかなるものか」
そうなんです、つまりはそういう事なんです。
ユニットとはチームであり集団であり、それはしいては組織にもなり得ます。リーダー的な立ち位置、その側近的ポジション、間を取り持つ中間職的役割、それらを取り巻く下っ端的その他。
人が組めば色合いは増え、人の数が増大していけばその色は濃さを増す。しかし逆に薄れていく事も。
そのユニットがいかに自由を標榜しようとも、ユニット加入は傍から見れば軍門に下るという見え方になってしまう。
ユニットを利用してのし上がる企みもあるでしょうが、その企みは誰かが造った集合体への個の投下によるものでしかなく、あくまで個の表現とは程遠いという認識にならざるを得ません。
じゃあ例えば、ユニット加入時に最初からリーダーの座に就くならば、それは軍門に下ったとは言えないのでは?
こんな疑問もあるやもしれませんので一応私なりに説明を加えます。
ユニット加入時のポジションがたとえリーダー、もしくはボスであろうとも、最初にそのユニットを産み出した存在で無いのならば正直な所は変わりはありません。自分じゃない誰かが産み出した色に染まる、端的言えばそういう事なのです。
ユニットの存在が長期政権を築こうとも、メンバーの増員や入れ替えを果てしなく繰り返したとしても、やはりその集合体の色は一番最初の創始者の色であり、この事実を消し去る事などできないのです。
ただ色の派生はあるでしょう、その微妙な変化で楽しませてくれたりワクワクさせてくれる所にはユニットの面白みが詰まっていると言え、その中で選手の動向を面白がるのは大きな魅力でもあります。
しかし今一度言いますが、既存ユニットへの加入は自分の個性を差し出すと同義。
思い返せば、ジェイ・ホワイトに関しても非常に悔しい想いを私は抱いています。
彼も結局の所、バレットクラブの加入をしてしまいましたが本来は絶対に必要無かった。
凱旋時には尖ったサイコなキャラクター性を帯びていた割にはどこかまだ頼りない部分を感じつつ、それでも可能性という部分では期待感は充分だったはず。
私の過去の記事では、ジェイ・ホワイトはユニットに入ったりせず単独行動を貫く物語を紡ぐべきと書きました。
本隊でもなく、ユニットに下る事も選ばず、そしてここぞという場面で姿を現しストーリーを掻き回すようなJOKERになるべきだと。
誰にでもこなせる役割でもありませんし、感情移入という要所においてこの方向性はファンがつきにくい可能性もある。継続型のストーリーは捨てなければならないデメリットも。
しかしながら群れるという方向性を一切拒否したキャラクターの確立を目指すにはジェイ・ホワイトはうってつけだったのではないでしょうか。
唐突ではありますが、勢いに乗ってきましたので乗じて、
ここから私の中の勿体ないぞシリーズを一挙放出します。
まずは後藤選手ですよ、後藤洋央紀!
今でも私は言い続けますよ、なぜケイオスに入ったのだ!?なぜに。
しかも入り方がオカダ・カズチカに敗けた直後に加入だなんて、それは純度100%の軍団に下る&自分を差し出すだぞ!
あのタイミングでケイオスに入ってしまいそれまでの熱い熱い柴田との同級生ストーリーもなんか変な感じで途切れた感があったような・・・、私はこれを今までの流れは何だった感と呼んでいます。荒武者勿体ない!!
今はもう新日本プロレスには居ませんが、ランス・アーチャー!
そうです、アーチャーですよ。鈴木軍?明らかに徒党を組んでその配下に収まり続けるキャラクターじゃなかったですよ!
怪物感がとてつもなかったアーチャーの暴れっぷり、スケールそのものがユニットのいちメンバーにはどうにもこうにも無理がある!あぁ勿体ない!!
まさにランス・アーチャーも単体で充分すぎる程の個性そのものでした。
鈴木軍つながりでエル・デスペラード!
キャクターが立ちすぎです。
非の打ちどころの無い個性。この個性も軍団の配下であり続ける必要があるのでしょうか???
勿体ないぞ!ギターと薔薇と、暗殺者的な神出鬼没路線でいくらでも目立てます。鈴木軍に加入しなくても、本来はその手のファンがずっと応援し続けるキャラクター、ザッツ勿体ない!!
それからYOH選手!もう何かもが勿体ない選手。
彼はヤングライオン時から個性の片鱗を見せつけていました。喋りから見え隠れする知性、スマートな佇まい。完全に個性の前夜。圧倒的な個性の予兆。
それがなぜユニットのいちメンバーに?&なぜに六本木キャラ?!
ダブル勿体ない!!
これはいけませんね・・・
このままでは暴走してしまう為、自重を致します。お見苦しい所を見せてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。。。
しかし挙げろと言われればこの勿体ないシリーズはまだまだ延々と続いてしまうでしょう。
誤解の無いように言わせてもらえるなら、これは決して新日本の選手達をディスりたい気持ちで叫んでいるのではありません。むしろ正反対、熱を込めて愛の叫び。後藤選手もアーチャー選手もデスペ選手もYOH選手も私は好きで好きでたまらないのです。
勿体ないシリーズについてはまた別の機会でじっくりと設けさせて下さい。
さて、カールのこのコメントで記事の締めへ参りましょう。
「カール・フレドリックスはいつまでもアルファだ」
カールはアルファという言葉で自分の感情を最大限に打ち出しました。
アルファ、はじまりを意味するワード。自分はベータやガンマにはならないという決意を込めたカールの宣言に大いに期待を感じます。
アルファで居続ける、それは既存の軍門には下らない、そして自分の個を差し出さないという意の表れ。これはとても険しい道のりの選択でしょう。
現在の新日本プロレスにとって、ユニットありきの風潮を払拭するにはこういったコメントを堂々と発してくれる選手がトップ戦線に躍り出てほしい。
アンチ・ユニットのすすめは巨大な個を産み出す一歩となるやもしれません。
そいえば、アルファと言えばオメガといワードを思い出します。選手名にそのオメガの言葉を用いる選手。遠い先の先に待ち構えているような、そんな気が。面白いですね、この予感は今は予感のままに。
(追記です、本隊側の選手達ももはや本隊という名のユニットと同化しつつあるような気がします。
今回の記事でも触れた、本隊にも各ユニットにもどの群集にも相成れようとはしない存在、これこそが私が今回の記事でアンチ・ユニットという言葉を用いた真意に含まれます。)
以上!
読んで頂き本当に嬉しいです。
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