こんばんは、筆者のクスノキです。
皆さんも、もちろん先日の6.5両国大会は観戦もしくは配信視聴をご覧になった事と思います。私も第一試合からメインの試合までこの目で観させて頂きました。
感想は沢山の文字で埋め尽くしたい位の衝動で突き動かされそうです、書きたい事が次から次へと出てきた大変に困った状態なのが率直な今の私の気持ちではありますが、今回の記事ではあえてたった一つだけ。
たった一つだけの言いたい事がここに書きたくて、誰かに伝えたくて記事を更新した次第。
とは言いつつも、本当にたった2~3行程度で記事を終えてしまってはせっかく私のこのブログに来てくれた方々に申し訳ありませんから、ここはその言いたい事のたった一つの為に感想を少しばかりなぞってからにします。
しかし今回の大会、話題も試合内容も何一つとして遥か上へ行く満足を超えた超ド満足でした。ゆえに言う事無し、文句無しの文字通り言葉なんて要らない程のスペシャルだった事は誰の目にも明らかだった事でしょう。
メインのBOSJ26優勝決定戦に関しては、試合の攻防レベルがもはやマンガの世界です。パワーもスピードも見応え充分だなんて容易く評する事などできません、だから言葉は要らない。なので私は今回はこのジュニア史上最高方、常軌を逸した異次元の戦いについて大騒ぎな感想をあえて控え、"言葉は要らない”の一文のみとさせて頂きます。
これに関しては多くの方々が賞賛のコメントなりブログなりをしっかりと他で書いて下さってるはず。なので私は"言葉は要らない”の一文のみです。
次にエース棚橋の復帰戦、今回の話題の目玉の一つと言えるカードでした。
試合内容? 完璧でしたよ、ええ間違いなく理想とするプロレスの形がそこにはしっかりと詰め込まれたまさに完璧。
エース復活の為の会場の声援の共鳴、ジェイ・ホワイトの順序立てた腕責め。
怪我から復帰したレスラーにおける基本的なストーリーのシチェーションをしっかりと生かし、派手な空中技や見栄えの良い危険な投げ技の連発などに頼らず双方の選手と観客の感情がそれぞれに表現され、巨大な一体感を産む。
これは言わば古典なんです。
プロレスの試合レベルと選手の容姿、これらがどんなに進化と変貌を遂げたとしても相も変わらず有り続ける、表現し続ける、人間がこよなく愛し続ける古典なのです。
しかしですね、今回私が言いたいたった一つのことは実はこれじゃないんです。とっても口惜しいですが、今回の棚橋ジェイの一戦の試合内容については本当はもっと濃厚に手厚く語り尽くしたい気持ちはあえて我慢。ここは我慢です。
それにしても、やっぱりジェイ・ホワイトの「間」、この試合でも最高でしたね。腕責めの一点集中というやるべき事がはっきりとしているとはいえ、攻撃の合間に都度自分の表情を観客の方に向ける、素晴らしい振る舞いでした。
加えてバックステージでの自身の雰囲気作り、これもまたますます醸し出されてきています。リングの舞台が無く、相手もそこには居ないバックステージ。カメラと記者陣が目の前にあるにはありますが、バックステージではプロレスラー自身が放つ雰囲気でその空間を充満させなければいけません。
人はそれを色気と評したり、オーラと呼んだりもする。しかし私はこう呼びます、憑依と。ジェイ・ホワイトは憑依型レスラーになりつつあるのです。何の憑依か?それはそれぞれの思うキャラなり人物なりを自由に当てはめて楽しんでみて下さい。これも物語の楽しみ方の一つというわけですね。
私の場合?私のジェイについての過去記事にて思う存分書きなぐっていますのでぜひ未読の一読して頂けたら嬉しい限りです。
これからジェイ・ホワイトの雰囲気はますます熟成されていく事でしょう、ジェイには期待しかありません。ジェイの今後の試合は更に期待できるでしょうね。
しかしジェイ・ホワイトのコメントで一点気になった箇所があります。これはジェイホワイトじゃなくてもわりと世代闘争の図式ではどんな選手だってわりと口にする言い分ですが、ちょっとご紹介。
棚橋はもはや過去の選手だ、だからエース棚橋はもう終わった という煽り文句。
まあこれは煽り半分本音半分。ジェイの様な新しい世代の選手にとってはエース棚橋の存在を疎む感情は当然ですし、いつかは誰かがまさしく棚橋選手をきっちりと終わらせる必要はあります(ゆくゆくは海野選手の役目になるでしょうか)。
新日本プロレスを回復させた立役者であるエース棚橋が今と同じポジションを維持し続けるならば、新世代にとってはなんとも煙たい存在。
ですが、プロレスは"過去”とも戦わないといけない。二度言います、過去とも戦う。
ジェイ・ホワイトには厳しい重荷でもありますが、過去とも戦わなければならない、それがプロレスなのだと思います。前を向きさせすれば切り拓ける、そうでしょうか?
残念ながら違います。エース棚橋はまだ終わっていない、終わらせてないならまだ戦わないといけない。そう、過去とも、です。
なぜでしょうか?なぜ過去と戦わなきゃいけない?どうして?
記憶は塗り替えられていくように、時に幻影ともなりうる過去。美化とリピート、再生とリフレイン、そんな過去となぜ戦う?
物語だからです。プロレスは、物語だから。
前のページはめくる事はできても消せやしない、だからしおりを挟めるのです。
今のエース棚橋はしおりのような存在、進化という言葉を口にしながらも体は老いを始めています。だけどプロレスにおける大切な事を彼が留めてくれている、忘れないように。今の新日本プロレスがあるのは棚橋の過去があったから、そして観る側の記憶がまだ今もそこにあるから。
新しい章が始まるにしても、その為には過去との戦いも大事な大切なストーリーの構築作業です。
誤解の無いように付け足すと、私は過去も未来も同価値であると思っています、だから過去というワードを当てはめる事が未来というワードよりも下だなんて何ら思っていません。特に物語の視点で言えば、二つのワードが地続きであり地平線でもあります。過去だけを切り取っても未来だけを持ち上げてもいけません、これは対極でも表裏でもあらず。つまりは平行です。物語の進行上、未来が過去を疎ましく感じるという図式がよくあるだけの話。
ジェイはまだ、過去と戦う羽目になってしまうのかもしれません。
2020年東京ドーム2連戦、エース棚橋はその時どんな立ち位置に居るのでしょうか。
これが今回言いたかった事?、
と思ってしまった方はちょっぴり気が早い。
いえすいません、それは違います。私の前置きが長すぎるというのが妥当です。
当大会のビックサプライズ、モクスリーの参戦。そう、これについて満を持して言いたい事があるのです。
モクスリーとジュースの関係性はお膳立てとしてはバッチリでしたし、ここでもまた過去が二人の決戦の再会を彩ってくれたわけです。
自慢のドレッドヘアーをバッサリ切り落としたジュース・ロビンソンの決意には、我々観る側の感情をがっちりと炊きつけられ、彼が自分の過去と戦う事によって自身の生まれ変わりさえも予感させてくれました。
試合は荒れ、感情は荒れ、だけどそこにはジュース・ロビンソンの魂をまざまざと見た気がします。
ジュースは過去にも一度生まれ変わりを身を持って体現していたレスラーです。
それまでのキャリアを一度全て捨て、ジュースは新日本プロレスでデビューを飾りました。そんな彼が新日本プロレスのキャリアこそが自身の誇りだとし、IWGPの名のつくベルトへの想いを馳せ、今回のモクスリー戦でもう一度生まれ変わりを得たのかもしれません。
結果はベルトを落としてしまいましたが、ジュースの物語もまた、新章を迎えた事でしょう。
さて、気になるのは次の挑戦者です。
モクスリーが奪ってしまったIWGP・USヘビーのベルトの次期チャレンジャーは誰がいいでしょうか?
ジュースの相棒でもあるデビット・フィンレーがまずは思いつく適任者でありますがフィンレーは現在怪我で欠場中です。
仲間がリベンジ、流れはスムーズですが怪我ではどうしようもない。
それならば、バレットクラブはどうでしょうか、ファレVSモクスリー、面白いかもしれません。ならば一度ジェイをモクスリーと絡ませるのもマッチメイクとしては興味深い。劇薬混ぜるな、と言わんばかりの危険な化学反応も期待できるやもしれません。
しかしですね、ベルトを絡ませたい新日レスラーが他にちゃんと居るのです。
やっとです、やっとですよ。
もうここしかないとまでは言い切れませんが、このタイミングにこそ彼を抜擢する英断を新日本プロレスがするかどうか。
そう、ヘナーレです。
言えました、言いたかった事がやっと。
今回言いたかった次の挑戦者の名前。
ヘナーレの名をこのタイミングで挙げる為だけに今回は記事更新をしたわけです。
新日本プロレスに入門してから三年が経ちました、これまでも他の選手の名を口にしたり、ベルト挑戦への意欲をアピールをしたり、ヘナーレが置かれている立場の枠の中で彼は手を抜かず、気も抜かず。
ヘナーレ選手にそろそろここで、ビックネームとの大一番を経験させる事は新日本プロレスの将来にも確実に種を蒔く事になるでしょう。
積み上げていく経験はそんな簡単にスキップ飛ばしはできません、ですが自分が掴むチャンスはその場が無ければ試しようは無く、なおかつ運を賭ける事もできない。物語を書く為のページを用意してもらう、これは決して甘えや怠慢などといった類のものではありません、プロレスの自己主張は乱発できる選手とそうでない選手がいるのも事実だから。
そういえば、エース棚橋がこんなコメントをしていましたね。
これがエース棚橋の自己演出の凄さですよ。
棚橋選手の場合、時に矛盾はあるにせよそれを矛盾と感じさせないこと、これもその凄さの一つです。
本来ならば何度か敗れた選手に対して順番を守ろうとしないアピールは確実に矛盾を生じさせています。しかしエース棚橋はその矛盾のロジックを”お行儀の良いレスラーはレスラーじゃない”という自己演出で華麗にすり替えてしまう。
これはお手本です。価値のある教科書です。
自己アピールのやり方において首尾一貫はなかなか難しい、プロレスというエンターテイメントであらば尚更です。チケットの売れ行きから考えていくカード編成、これには至ってシンプルなビジネスの都合が介在してしまう。
なぜエース棚橋が順番を守れなくても主要なマッチメイクに抜擢されるか?復帰した直後でも簡単にベルト挑戦の宣言をアピールしても構わないのか?
これは誰でもしていいわけじゃない、これはエース棚橋だからです。
チケットやグッズの売り上げに直結できる選手だから。この魔法を会得するには歴史と功績を建造できたレスラーのみでしょう。この部分に他の選手がどう噛みつき、そしてファンがどう捉えるかもプロレスの醍醐味です。そう考えればエ-ス棚橋は多様な楽しみ方を私達ファンに提供してくれています。彼は実の所、ベビーフェイスもヒールも同時にこなしてるのです。これに気付いたならば、棚橋というレスラーの見方はまた変わる人の居るやもしれませんね。本当に偉大なプロレスラーです。
現時点においてヘナーレ選手の名がチケットの売れ行きに大きく響くかはなかなか難しいのかもしれません、ですが、ヘナーレは順番は守ったのです。でももういいでしょう、そろそろ出番ですよ。ヘナーレにはまだ実績も歴史も薄い、だけど安易にIWGPの名を出したりはせず自分の意気込みだけは常に絶やしていなかったはず。
トップレスラー達もトップ戦線に絡むまではその順番を守っていた選手がほとんどです、ごく一部の選手には飛び級が与えらたりもしますがそれが成功するかどうかはまた別問題。
奪われた新日本のベルトを取り返す、ヘナーレにとっても最高のシチュエーションです。この最高のシチュエーショ今回は誰に任せるのか、皆さんならどの選手を抜擢してみますか?
私ならヘナーレです。今回はこの一択。どうかヘナーレ選手にこのチャンスを譲ってもらいたい、私の叫びが届く事を祈るばかり。
ファンがヘナーレに感情を乗せるのはもはや容易な瞬間、後は試合の中身にヘナーレがどれだけ感情を吐き出せるか。
待ちに待った瞬間。
ヘナーレに、最高の舞台を。
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