何のために産まれたのか、
一体どんな役割を担う為に自分は天から落とされたのか。
この世に人間として命を授かってしまった者ならば誰しもが必ず持つ疑問。
誰がために。何をもってして。
産まれた意味は?生きる意味は?
人生の出発点から死の螺旋へと線を結ぶ、それは分かってる。生きるべくして生きてる、進行形が私達を生かす。でもいつか死ぬ、絶対的に。喜怒哀楽のページがめくられる度に命の灯は薄らいでいき、安息の地はこの世かあの世か。
産まれる前の記憶があれば少しは安らいだのでしょうか?死んだ後もなお記憶が保証されるなら戸惑わないで済むのでしょうか?
残念ながら安らぎと保証でも、自分の産まれた意味を与えてくれるとは限りません。もっと残酷な事を言えば、一生をかけてもその間に答えを探せる人は少ないかもしれない。
大抵の人々は生きながらその産まれた意味と答えを探します。人生の旅路において命題が自身の産まれた意味と答えの探索。普遍的な命題です。
しかし、中には産まれながらにその意味と答えを探す必要が無い人間がいる。人生の命題が生まれた時から備わっている物も居る。別に特別な存在だと言いたいわけでは無く、選ばれた選民的な話を説きたいわけではありません。
偶然だった。
そして本人にとっては必然でもあった。
産まれた時から新日本プロレス、
その男の名は柴田勝頼。
私のブログ『新日本プロレスを物語る!』の記事中ではずっと前からこう呼んでいました、ドラマチックな男だと。
恵まれた環境だと妬む人も居るかもしれません、父親が元々新日本プロレスだったなら二世の七光りもあったんじゃないかと言う人も居るでしょう。
全くのゼロとは言えません。が、産まれた時から道筋を宿命づけられる事は祝福ともなり、時に呪いともなる。新日本プロレスの立ち上げ当初の場から居た父・柴田勝久。
父親の偶像は息子の人生の何を代償にしたのか、父親の実像は息子の人生に何を与えてくれたか。
特別じゃないんです。偶然だったんです。
産まれた時から新日本プロレス、産まれた時からドラマチック。
産まれた意味も答えも産声の中に既にあった男、考えてみればこれは産まれたその日から試練を用意されたようもの。自分が歩む道筋に万が一にも疑問を持ってしまったらどうすればいいでしょう、環境の変化や他人からの影響に一体どれほど感化されるかも分からない。
だけど柴田勝頼は一直線に駆け抜けた。プロレスのレールを一心不乱に進んでいきました。高校で後藤洋央紀と出会いプロレスの誓いを掲げ、父親の死、自分が戦った対戦相手の死、それでも進むプロレス道。新日本プロレスを一度退団する時にも柴田勝頼はドラマチックを体現してしまう、“辞める事が新日本プロレスだと思った”。産声からずっと続く彼の物語にはなんと辞める事さえも必然のストーリーでした。当時は色々な想いが交差したでしょうね。強さの担保が欲しくて総合格闘技に挑戦するも惨敗を重ねていく始末。批判の嵐は吹き荒れ、柴田勝頼の拠り所はこの時本当にまだプロレスにあったのか。
戦いの中で傷つき、辱めをこれでもかという程受けた柴田勝頼。
それでも確固たる彼の中のドラマチックは駆ける事を止めなかった。当時は駆け足というより藻掻く足といった所だったでしょうか。
でもドラマチックは止まらない。だから戻ってきたのかもしれない、柴田勝頼は新日本プロレスのリングに。
そこからの柴田勝頼はもう説明不要ですね。自分の存在価値を0から築き上げる為に彼は文字通り命を削りました。新たなドラマチックを構築するために。
オカダ・カズチカ戦後の緊急搬送、欠場を余儀なくされ復帰の目途は立たず。
時間が流れ、ファンの記憶も熱も少しづつ目移りする・・・・かと思いきや。
彼はリングの外でドラマチックを繋ぎました。LA道場でヘッドコーチ就任。柴田イズムの継承物語。アメリカのヤングライオンは産声を上げています。“産まれた時から新日本プロレス”の男が、次世代の新日本プロレスを産み落とす。
なんとドラマチック!!
リング上でもリング外でも、柴田勝頼の命題は単純明快。プロレスをドラマチックにする、その一点のみ。
長い長い前置きでしたね、
こんばんは、筆者のザ・クスノキです。
ここまでで、私がどれだけ柴田勝頼のファンであるかは分かってもらえたはずです。ブログを始めた当初は純度100%の柴田勝頼専門ブログにしようか迷ったほどでしたが、私がブログを始めた時には既に彼は欠場中である為、話題の密度がそう無いだろうと断念しました。
仮に柴田勝頼専門ブログを私が書いたら、需要はどれくらいあるでしょうか。
今回のG1決勝の夜、大きなビックサプライズが起きましたね。KENTA選手のバレットクラブへの加入、ソウルメイト柴田勝頼への裏切り事件。
確かに事件です、大事件。
しかしやっぱり私はKENTAのバレットクラブ加入そのものにフォーカスするよりも、ドラマチックが駆けてきた場面にフォーカスせざるを得ないのです。
KENTAが裏切りのマイクパフォーマンに着手する直前、
駆け抜けてきたんです、あのドラマチックな男が。
凪払われるKENTA。
ドラマチックな登場の柴田勝頼。
ソウルメイトが割れる音がこだまする。
激しさも切なさとドラマチックらしさ。
くどいと思われる覚悟ならとっくにできています。私の記事はこのくどさを真心に込めて丁寧に練り上げていくのです。
皆様もどうかこのクドさに耐えて耐えて受身を取って下さい!書き手と読み手もドラマチックに向かい合ってこそ。
さあ一緒に駆け抜けましょう。
バレットクラブの面々を蹴散らしながら、
&蹴散らしながら、
疾風の如く勇ましきドラマチック。
淡い絆なんて飛び越えろ。あの約束も、あの日の握手も今ここで蹴り飛ばす。
ドラマチックを駆けろ!
ドラマチックに賭けろ!
私は嬉しかっです。心の底から。あのオカダ・カズチカとの死闘により、柴田勝頼に対するリング復帰を願ってはいけないと思っていました。いや、今もなお現実的な話は分からない。
彼の選手生命は一旦ストップしたけれど、ドラマチックはストップしなかった。その証拠が柴田選手が久々に見せたリング上での動き。もう一度この目に映った情景はただの懐かしさなんてもんじゃない。
多勢に無勢の中、形成は逆転し倒される柴田勝頼。
バレットクラブに黒く蹂躙されるセルリアンブルーのマット。回想はもう要らない、希望を欲望に変えてやれ。世界はいつだって手招いてるのでした。
なんという開放的スマイルでしょう。清々しい位にスマイリング。KENTA選手の行く末は笑顔に満ち満ちている…?
今思えば、ソウルメイトという言葉に少し違和感はありました。似合ってないというか。本人達が昔からプライベートで呼び合っていましたが、第三者からするとこの2人のイメージには少しそぐわないな、と。
ただ似合ってなくても壊れた瞬間の物悲しさは悲哀に襲われます。培うのにどれだけ時間を要しても、崩れるのは一瞬。
柴田勝頼の姿を見て簡単に泣いちゃだめだと自分に言い聞かせましょう。まだ早い。まだ早すぎる。
彼のドラマチックを観た時にはまず噛み締めましょう。。彼の時間軸は地点から地点へドラマチック線とやらが繋いでいます、もちろん柴田自身の自分の足で。
踏みしめて、そしてまた踏みしめる。
ここまで噛み締めた後にやっと泣いていい。これくらい味わって浸ってからなら思う存分泣けばいい。
涙はね、耐えてこぼすもの。
感傷のひとときを越えて感涙へ至らなきゃいけません。堪え忍ぶ行間があってこその、涙。涙。涙。
そりゃTシャツも容易には破けませんよ、だってドラマチックが染み込まれているんですから。
柴田勝頼のドラマチックシリーズは新章を迎えました。
さて、あなたの中にはドラマチックがありますか?
無いと答えた人は安心して下さい、もしもドラマチックを失っていても心配は無用です。
ドラマチックを観に行けばいい、新日本プロレスという物語の中にそれはありますから。
見逃しちゃ損ですよ、ドラマチックは鮮度のあるうちに。
◆ここまで読んで下さり本当にありがとうございました。
もしよかったら次回更新にも覗きにきて下さい。
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