プロレスにおける創意工夫
本日の記事は少しまとまりの無い場当たりな内容になるかもしれません。
今回は選手の使う技について、私の思う所を部分的ではありますが書いてみます。
プロレスの技に関しては昨今、多様性は加速的に広がりそのバリエーション量は増大なものとなっています。
時の流れと選手の数が増えていけばその傾向自体は当然の流れでありますし、プロレスの技というのは全くのオリジナルのモノもあればこそ、その開発されたオリジナルの技から次々に型を変えつつ派生技が産まれていくわけです。
下手したら名前だけまるでオリジナルの様相を呈しつつも元となる技の原型と全く同じであったり、ほんの一部のみ形を変えて別の名前の技として使用されていたりする事は日常茶飯事であるのがプロレス界。
しかし技というものはその選手の個性に直結する最短のツールでありますから、技の形が同じであろうがなかろうがそこはあまり重要じゃなかったりもします。
では何が一番重要なのか?
そこで私が思う重要性はなんといっても,その技を使う事で説得力があるかどうかです。そしてそれは得意技や必殺技においては特に。
前述でも書きましたが、技のバリエーションはどんどん増えています。しかし、これはある面から見れば技の説得力を少なからず落とす可能性があると思います。反対に、技を絞るということ。これは技に説得力を持たせる方法の一つです。
この技を絞るというプロレスのやり方が非常に長けていた選手を数ある中から一人挙げてみるならば、黒のカリスマ・蝶野正洋でしょう。
日本における一大ムーブメントを巻き起こしたNWOjapanやT2000の総帥・蝶野正洋選手です。
蝶野正洋の代名詞とも言うべき技は2つあります。
まずはケンカキック
次にSTF (ステップオーバー・トーホールド・withフェイスロック)
蝶野正洋選手はこの2つを試合中、高頻度で多用します。
しかもこの2つの技を一つの試合中を通して序盤・中盤・終盤全てに多用するなんてこともよくありました。試合の序盤から終盤にかけて何度も同じ技を出す選手なんて今ではほとんど居ません。
試合の組み立て方や、その選手の個性によるのは間違いありませんが、蝶野選手は基本的に攻撃の受け手に回ることに重点を置き、要所要所の一番効きやすいタイミングで自分の技を出す、といったスタイルでした。
試合によってはケンカキックとSTFの二つだけで試合を成立させるという事も稀では無く、複数人数タッグマッチなどでの顔見せ程度の試合に関しては、なんとケンカキックだけしかやらない位のイメージすらある選手です。
それなのにですよ?それでも蝶野正洋のプロレスは成立していました。それは技を極力絞ったという事に尽きると思います。
大技のバリエーションを多く持つ選手や、危険技を多数繰り出す選手の場合になってくると、仮に、技をあまり出してくれない試合になってしまった場合に観る側がすぐに物足りなくなってきてしまう。
“必殺技の1~2つだけじゃダメ、もっといっぱい技持ってるんだから今日の試合も全部披露してほしい”という感じに。
これはプロレス的物足りない病における深刻な症状に近いと判断せざる負えません、そしてその病は各選手が持つオリジナルの技の説得力を著しく下げてしまう。
つまりはその症状が蔓延する観客の雰囲気を察して、選手は更に大技の数を増やし、盛り上げる為にという名目で更にあれやこれやと色んな技を使い始めてしまうのではないでしょうか。
選手にとって、見栄えのある大技や観る側をハイテンションにできる危険技を多用する事は実はお手軽な考え方にもなりかねないのではないでしょうか(もちろん、受け身の技術の話になれば簡単にできる事ではありませんし、技をかける方も受ける方もプロだからこそ。それに対する敬意と評価は日々高まるばかりです)。
技を絞るという事の方が実は選手にとって難題となり、大きな課題でもあるように思えます。得意技や必殺技を絞ればリスクが伴うからです。
どんなリスクか? 前述でも触れましたが、技が多ければそれだけ観客を沸かせるチャンスも回数として稼げます。しかし技を絞ると、その少ない技でどれだけ観客を沸かせられるのか?という不安は当然出てくるわけです。
その為には考えなければなりません、どのタイミンで自分の技を使い、さらにそれをより効果的に見せるためにはどんなパフォーマンスが必要になるか。その時の表情や息遣いだって表現の一つとして無駄にはできなくもなります。
そしてそれに伴い、自分のキャラクターと技のイメージがしっかり合致しているだろうかという創意工夫たる考えも出てくるかもしれません。
要は思考が必要になってくる、といえるでしょうか。
ただ大技を連発したり、あるいは新技をどんどん披露していく事はそれほど難解な思考は無くても一応できるかもしれませんが、でも本当にその技の説得力はあるのでしょうか?いつかその説得力は低下していく恐れはないでしょうか?
試合の終盤、技の攻防の中でこれでもかという位に大技や危険技が連発されるのは確かに私も興奮する時があります、ですが同時に試合の内容や展開も強烈に記憶されているかといえばそうでもない時があったりするのがとても不思議です。
そして、次の時にはそれと同等、もしくはそれ以上の激しく危険な展開が無いと物足りなくなる昨今の私なのです。ただ、大一番の試合や、どうしても危険技を出してでも勝たなきゃいけないというストーリーが構築されている場合は別でしょう。
今回は『技の説得力』において、蝶野正洋選手を例に挙げ、技を絞るという観点に触れてみました。
次回、この『技の説得力』において書くとするならば、今度は技のストーリーがあるか という観点に触れてみたいと思います。