自己完結ってなんでしょうね、言ってしまえば自身の満足感で終息してしまう事象を指すのでしょうか。
ニュアンスとして良い悪いで判断するのは一概に相応しくないような気もします。自己完結する事の難しさもあったりしますし、自己完結に至る経緯だって無視できません。冒頭より急な切り口にはなりますが、前記事に続きKENTA選手について書いてみます。
前記事についてはKENTAという1人の人間が挫折や喪失といった暗闇から光の地にやっと戻ってきたという素の人間模様だけを切り取って書いてみたものです。KENTAの解放感この言葉を持ってして私が観て伝わってきた感慨を記してみたのが前回の内容でした。
しかしですね、このブログのタイトルが『新日本を物語る!』となっている観点からも書き足す必要はあり、新日本プロレスという物語という枠組みをはめこんだ中で今回のKENTA選手を観てしまうとなると、冒頭でも使った言葉に取って替えられてしまう。それが自己完結感。少しばかり残酷な気もしますが、ここで言う自己完結感はあまり良い意味としては為さない事として注意して下さい。
先に説明をしておくならばプロレスにおける良い意味での自己完結感といえば、例えば自身の称号を得た瞬間に成り立つ自己完結。
具体的な選手で補足します。
後藤洋央紀選手なんかで言うと今の今まで一度もIWGPヘビー級王座に戴冠しておらず、G1やNJCでは冠を手にしたにも関わらず長いキャリアを積み上げる中で未だにIWGPヘビーには手が届いていません。
挑戦する機会を幾度も与えられましたが、何度も何度も挑戦失敗という苦渋を舐めさせられ、後藤選手の代名詞にもなってしまう程に。
簡単な話です、その後藤選手がいつかの日にIWGPヘビーを遂に戴冠したその瞬間こそが、後藤選手の中にある一つの物語が自己完結しうるというもの。
この自己完結に関しては多くのファンが念願として抱いてるものであり、そこには他者との関連による物語の終息では無く、あくまでもきっちりとした形での後藤選手の自己完結をファンは期待しているはずです(分かるような分からない様な至らぬ説明になってしまっていたら申し訳ありません、、)。
さて、良くない自己完結に本題を移しましょう。
飯伏戦の直後、勝者であるKENTA選手は敗者の飯伏選手を抱き起しました、そして敗者を讃える場面を演出。
いやいや違うでしょう。
それは何か違う。
新日本プロレスという物語に異分子として侵入してきた存在が、初戦からただの“善い人”になっちゃいけません。
飯伏幸太は今や新日本所属の選手です。いわば砦の住人たる者を脅かす事こそが侵入者の本懐であり、それを飯伏選手が迎え撃つ姿は感情移入の基本でもある物語の王道です。まあ、人によってはまだ飯伏幸太が“新日本の選手”という印象を強く持てないファンも居るかもしれませんが、一応所属になりましたし今までも新日本での飯伏ストーリーを構築してきた年月は短くはないので「新日本プロレスの飯伏幸太」として立ち回りを観て構わないはずです。
初戦で新日本の人気選手をいきなり撃破したわけですよ、それなら簡単な話で“新日本のファンよ、どんなもんだ”といきり立って然るべき。もっと過激にいくならば、 “新日本所属の選手はこんなもんか!?”と煽りに煽っていくべきです。その流れが起こりじゃあ誰がKENTAを潰してくれるんだ??とファン心理はがっちりと高まり次に繋がっていく。
不快だろうとなんだろうが、KENTAのG1を追いかけたくなるファンの感情を持続させてこそのプロレスであり、異分子が実は“本当は善い人なんです”なんていう段階はまだ先の先でいい。G1の健闘を讃えあうのはまだ先でいいんです。
柴田勝頼というドラマチックなカードを使ってしまった以上、KENTAへの期待はかなりのハードルが上がってしまうわけですが、これは実の所かなりのチャンスです。
ソウルメイト?友情?戦いが始まったなら既にそんなの関係無いとKENTAはふんぞりかえって憎たらしい立ち振る舞いでインパクトを作ればいい。
反動があればあるほど感情の熱は放出力も、そしてファンからの引力も持ち合わせる事ができる。あとはKENTA選手の手腕でしかないにしろ、話題を強引にでも作る事のできる舞台は整っています。
やってやればいいんですよ、別に柴田勝頼だって決して“善い人”としてのプロレスを表現していたわけじゃない。熱量はほとばしり、汗と血とを振り切ったドラマのあるプロレスでしたが、時には毒もあった。
毒と熱、KENTA選手だって自身の鬱積した感情を解放という名で表現するのであればそれは毒によって熱くさせればいい。
そう、それなのに・・・・それなのに。
なんですかあの試合後のコメントは。
なぜですか?どうしてですか?
安堵したのでしょう、満たされたのでしょう。やっとプロレスに還ってきたという素が漏れてしまったのでしょうね、色々あったから。戻せない時間、後悔の沼、先の見えない暗闇。辛かったはずです、ノアのエースとして輝いたあの頃がフラッシュバックしたかもしれない。過去の輝きがまるで罪にも似た足枷にもなる。
そんな苦しみを背負いながらもプロレスに生還する舞台として古巣のノアではなくなぜ新日本を選んだのか?
新日本のファンに見せつけなければKENTA選手の物語の新章は大きな展開を見出せない。感謝という素の感情を今はひとまず置き、今一度“異分子”たるKENTAの存在感を見せてやればいいのです。失敗するか、成功するか、そんな二択はとっくの前に充分に味わったはず。挫折と喪失、負の感情を次なる自分の存在価値として執着したっていいのです。
プロレスは感情のドラマ、善い感情だけでは物語は織り成せない。
ちなみに、記者から「次の対戦相手の棚橋選手について」という質問に対して、KENTA選手が発したコメントには特に違和感を覚えてしまいました。
“満喫したいですね、誰とやろうと。”
違う違う、そうじゃない。
言ってやればいいんですよ、
棚橋?大した事無いエースでしょ?俺の存在感で消しますよ、棚橋を。
これくらい、かましてほしいんです。これくらいで丁度いい、煽って憎たらしく。こうすれば試合中の蹴りまくる振る舞いが光輝く。もちろん黒光りにね。
やってやればいいんですよ、KENTAは。
もう何か失うものがあるのですか?
ここは新日本プロレス、異分子としてやってきた存在はただただやってやればいい。
楽しみです。非常に。
読んで頂きありがとうございました。
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※ちなみに、エース棚橋選手に対してザックならこうです。