応援の仕方、プロレスという空間
※わりと長文になってしまってますが、ぜひなんとか最後まで読んで頂いてよければご意見拝聴したいです。
こんばんは、MSGの興奮覚めやらぬ筆者のクスノキです。
朝早くからの配信にも関わらず、日本のファンも多くの方が新日本ワールド越しに観戦をしていた事でしょう。新日本がワールドワイドにここまでビックな大会を成功させるというは、国内のエンターメント業界にも少なからず影響を及ぼしているかもしれません。
今回も普段の記事同様に、選手の事を書く予定だったのですが・・・、今回は急遽を変更したいと思います。というのも、以前から書きたい話題として私の中には少なからず考えてはいましたが、いかんせんこのブログの表立った表題が『物語』というテーマを標榜しているわけであります。記事のテーマはいつだってその言葉を軸にして書こうと当初から決めていこうという意思がある為、記事の取り上げ方には制限を自ずとかけていました。
しかし、今回はその以前から気になっていた話題について、MSGを視聴観戦しどうしても書きたい意志を促された様なので書かせて頂きます。
今後も新日本プロレスを物語っていく方向性を大きく変える事は決してありませんが、時折、今回記事の様な私自身の気持ちや疑問を挟んだ(もちろんプロレスに関する)テーマを軸に置く内容も書く事はあるやもしれません。
一体誰に向かって連絡事項を伝えているのかと冷ややかになる自分も居ますが、ほんの数ミクロンの可能性でも、もしかしたら私のこのブログを定期的に楽しく読んでくれる方が一人でもいるかもしれませんのでお伝えしてみました。
ちゃんと新日本プロレスを物語るという方向性は変わりませからご安心を、という報告でした。
それでは早速今回のテーマです。
それはプロレス観戦における『応援の仕方』について。
もちろん会場での観戦です。そして応援の仕方というテーマを書くにあたって、日本と海外の応援風景の違いを一つキーポイントに置き考えざるを得なくなりました。
まず、海外の会場においては、とにかく日本の会場とは桁外れな程観客のリアクションが大きいわけです、それに至っては昔から特に変わらない光景でした。
海外のプロレス会場は、とにかく観客は盛り上がれば盛り上がる程に総立ち、さらに各々が身振り手振りの様々なリアクションで大騒ぎ状態にもなりますし、更にはブーイングも日本のブーイング音量よりも格段上です。
そしてなんといってもチャント(一定のリズムでコールする応援)の一体感は凄まじいものがあります。はたまた、メキシコのCMLLでの会場も独特で、席を終始スタンディングで応援する人は欧米に比べ少ないですが、試合を集中して観るというよりもビール片手にお喋りをしながら盛り上がるといった雰囲気が強かったりします。
試合内容を固唾を飲んで見守るというよりは、、お祭りの雰囲気を楽しみたいから会場に足を運んでいるといった感じでしょう。
では、日本はどうでしょう、海外との比較で語るならば至って静かです。
盛り上がる所では盛り上がる雰囲気も勿論あります。
ブーイングや声援もあるにはありますが、会場全体での一体感で発生する程では無く、一部のお客さんがたまに声を出すといった感じですし、席を立ったまま応援する人も居ません(これについては新日本から公式に禁止されています)。
ですが、これについては今までそれ程私は疑問に感じる事はありませんでした。
海外と比べるものでは無いわけで、むしろ日本におけ会場の雰囲気こそが自分にとっても自然なものであり好きだったからです。
例えば日本のプロレス観戦、試合の序盤は静寂な空間になる事も多い、場合によっては中盤に差し掛かっても要所以外はわりと静かな雰囲気であっても不思議ではありません。これは盛り上がっていない、客が冷めているといった状態では決して無くて、言うなれば選手の動きをじっくり集中して見入っている、といった状態が正しい認識なのです。
これなんですよね、日本の会場での観戦マナーには大きな私語やリアクションに対して怪訝する風潮が自然と存在します。友達や家族、カップル等の複数で観戦しているにも関わらず試合が始まるとわりとほとんどの人が大々的に私語をする人は少ないのです。
今回、MSGの観客席が映し出される度に会場での盛り上がってる感がダイレクトにこちらに伝わってきました。その光景にどこか今までの自分の心境に変化をもたらす何かが入り込んできてしまったようなのです。
初めて観る光景ではありません、海外のプロレスビデオや動画でその光景は何度も目にしてきました。
違いは何か、今回見た光景は新日本プロレスを応援する海外のファン達、といった条件が揃ってしまったからでしょうね。新日本プロレスがそこにあったから。
ここで画像を交えながら更に書き進めてみます。
MSGの会場において、観客席はほぼ総立ち状態でした。特にリングサイドはそのテンションが際立って伺えます。
日本の会場では考えらない光景です。
応援の仕方については単純に体の姿勢の問題は関係してくるでしょう。立ったままだとマナーとして禁止されている日本では、座ったまま。
座ったままよりもスタンディングでの応援の方が声援もしやすくなったりリアクションも取りやすくなるとは思います。もちろん元となる文化圏による気質の違いはありますから、スタンディングでも割と静かに観戦する日本人は一定数いるでしょう。
会場の雰囲気が選手のテンションにそのまま反映されるのは言うまでもありません、会場が盛り上がっているという雰囲気は観客の声援、ジェスチャー、表情、それらを以てして構築されるのは言うまでもなく。
MSGの会場を配信越しに見ている時、試合展開の場面ごとに観客が全身を使って楽しみ、喜びや驚きを力いっぱいこれでもかと表現している姿はまさにプロレスという絶対的な非日常空間に花を添えていました。
見て下さい、これを。
まるで喜劇役者ですよ、これは。
でもこの観客も私達と同じいちファンです。
素晴らしい。まるで魂の底から震えるような表現です。
日本人の観点から見ればオーバーすぎるほどのリアクション、感情のテイクオーバーです。純粋たるものがそこにはある、リング上で渦巻く選手達の感情のドキュメント、しかしそれだけなじゃなかった。海外ファン達の上記の盛り上がり方を見るうちに思い知らされるわけです。リングの外、観客席にも観る側の感情のドキュメントが渦巻いているんだと。
それぞれが各々の日常を背に負いプロレス会場に足を運ぶ。
仕事や人間関係に悩みを持つ人、金銭的に苦しい人、持病を抱えて生きてる人、失業中の人、そして孤独な人。年齢も性別もそれぞれに。誰もが日常という物語を持たざるを得ない、そのどうしようもない物語を順風満帆にページをめくっている人などごく少数です。
だから非日常の空間に求める何かがある。
日常は消せない、日常という物語はその背からは降りてくれない、だったらせめて非日常空間で感情を開放するしかない。
楽しむ、面白がる、盛り上がる。日常は不公平で不平等。ですが非日常において、この感情だけは至って公平かつ平等に与えられてしまう。プロレスとは、選手と観る側が互いに感情のドキュメントを創造しうるおもちゃ箱だったはず。
海外の応援の仕方、日本の会場でもこれ位の光景があっても別にいいのかもしれない、そんな気持ちにさせてくれたわけです。私の中にストレートに入り込んできた嬉しさ。
会場での雰囲気はもっとハイボルテージな楽しみ方をした方がよりプロレスが面白くなる、そう考えさせられた部分があります。
海外の会場で絶え間なく発生する一体感、この巨大なパワーをなんと呼べばいいでしょうか。とにかく一体感のハイパワーさ、これは現状の日本のプロレス会場ではなかなか海外に勝る事に難しさがあるのも事実です。
さて、ここで記事を終えてしまうと、海外式をただ推奨するだけの内容となってしまいがちですので、ここからは問題定義として視点を変えて更に書き進めてみます。ここからは真逆の心理状態の上で記事を進めます。
私の中にはジレンマが存在します。
前記で高らかに書き記した内容は今回のMSGで感じた気持ちの事実です、しかしそれに矛盾した気持ちもやはりあるというのも事実。
実際に会場観戦時の自分の心境を視点としてプロレス会場応援の仕方について思いを述べてみます。
私が住む地域は関西関東からは遠く離れていますので、年に約2回、もしくは3回くらいの新日本の興行があるといった地方エリアです。
それでもその機会には足を運んだり、ビックマッチの場合には大阪にも観戦したりします。観戦時においては基本2人で行く事がほとんどですが、学生時代や20代前半の頃は1人で観戦していた事もあります。
自分の観戦時に例えば前の席の人が立ち上がったり、周囲の人達が常時大騒ぎしていたらはっきり言えば嫌です。試合の序盤中盤はかなり静かに観戦している私なので、盛り上がりの終盤でも「お~」や「あぁ~・・・」位の声を上げる程度です。
ただし、声援やブーイングに関しては全然気になりませんし、自分はあまり声を上げないだけでしたい人はどんどんするべきだと思っています。盛り上がって欲しい、という気持ちは強いからです。ただ恥じらいや照れが私にはどうしてもある為、非日常空間であるのに人前での自分の振る舞いを気にしているからでしょう。
良い機会なのでいわゆるヤジ問題についても少し触れます。
これも自分の観戦時で考えるならば、その場に適したヤジなら必要、ズレたヤジは不快といった感じです。でもこれニュアンスが難しいですよね、適するもズレたも、具体的には?と問われればすぐには答えにくい。
ズレたヤジとは、言わば自分が目立ちたいだけのヤジ。あるいは言葉のチョイスが鼻につく、もしくはただただ不快なヤジ、でしょうか・・。やっぱり難しいですね。具体例を出せないは難しい。
例えば古典芸能になぞらえてみます。
歌舞伎の観覧においてもいわゆる観る側が盛り上げるといった風潮はあるわけです。この場合風潮というより風習ですね。具体的には、盛り上がりの山場には「よっ!お見事」や、お馴染みの見せ場では「待ってました!」といった大向うからの掛け声が飛ぶわけです。それに呼応するかのように観客周囲は拍手を自然と行います。これが「粋」な盛り上げ方、日本の芸事に対する文化ですね。その「粋」こそがまさに場に適した声の出し方なわけです。
プロレスのヤジについても、古典芸能と同じく「粋」な声の掛け方が求められるでしょう。特にヒールへのヤジになると、場合によっては言葉の耳障りは荒いチョイスになるかもしれません。それでいて「粋」を求められるとなると難しい。。
「オカダ頑張れ~」や「タイチ帰れ~」のような単純な声援ならば素直なチョイスで問題無しです。しかし少し凝った声援やヤジになるとセンスがそこに必要なってしまうわけです。声援やヤジは選手に届けるという目的と、会場の観客に聞かせるという目的も兼ね合いがあります。
この兼ね合いのバンランスが難しいんですよね。目立ちたいだけなら止めた方がいい、と実際の観戦時の私は思ってしまいます。
それなのに・・・、MSGを観た直後の感想については各々の客がそれぞれ自分の好きなように声を出しジェスチャーしてもいいんじゃないかと思ってしまう自分もいる、、、この矛盾はいかがなものでしょうか。私のこの矛盾は共存が難しいのか、はたまた未だその落とし処がないだけなのか。
もしも新日本の公式が座席を立っての応援を禁止にしなくなったら、私は会場で立つでしょうか?海外ファンみたいに頭を抱えたり顔を手で覆ったりしながらハイテンションでジェスチャーするでしょうか?
分かりません。でも正直それくらい感情を大げさに表現して楽しみたい気持ちも私の中に若干あるのが本音かもしれません。自分も周囲もハイボルテージで盛り上がる事によって会場全体が盛り上がる連鎖を体感したいという気持ち。
皆さんはどうでしょうか?
この記事をお読みになった方々の気持ちを聞いてみたいです。言葉少なくても多くてもどちらでも構いません。
応援の仕方について。
日本の会場でももっと自由度を開放した方がいいと思う人、あくまで日本の会場ではマナー遵守でルール化をしっかり定めた雰囲気にした方がいいと思う人、
どちらが正しい悪いではなく、単純に自分はどういう応援の仕方を望んでいるのかをお聞きしたいと思っています。
年齢問わず、性別問わず皆様の本音を宜しくお願いします。
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