新日本プロレスを物語る!

新日本プロレスという最高の『物語』、それは必然と偶然が織り成す感情のドキュメント!主役は、レスラー全員です。

新日本プロレスという最高の『物語』、それは必然と偶然が織り成す感情のドキュメント!
主役は、レスラー全員です。

物語は鳴り止まない。   【木村花選手 スターダム】

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こんばんは、執筆者のザ・クスノキです。

 

前回の記事では木村花選手の突然の悲報にショックを受けた私自身のどうしようも無い心持ちから急遽書いた内容でした。

 

それから少しの時間が経ったにも関わらず引き摺ってしまっています。プロレスファンの皆様はどうでしょうか。

 

基本的には新日本プロレスに焦点を絞り毎回このブログ内では展開させていましたが、今回の出来事について自分で書きたいだけ書いてみないとどうにも新日本の話題に触れる事ができそうにないのかもしれません。

 

感傷的になっている自分に酔っているだけと思われる方もおられるかもしれませんが、それでも私は私の言葉を以てしてこのブログを続けたい一心です。

 

根底にあるのはプロレスに対するです。言わずもがな、です。

 

何を今更というべきこの「愛」という言葉を使ってでも、やはり私には書く必要があるのでしょう。プロレスへの愛がある、それはイコールとしてプロレスラーに対する敬愛を意味します。だから、だからこそプロレスラー木村花という存在が“物語”の始まりのはじまりで命を絶った事にとてもショックを受けてしまった。新日本プロレスのファンであるというのは新日本プロレス以外のプロレスラーは嫌いという訳では当然ありませんから、あくまでもプロレスを愛するファンであるという大前提です。

 

彼女が出演していた「テラスハウス」という番組については私は視聴した事がありませんし、木村花選手がこの番組出演をきっかけにSNS界隈での炎上現象に見舞われていた事さえも彼女の死によって知りました。

 

彼女が自分の物語を諦めなければならない程に追い詰められ苦しんだその心情は計り知れません。

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自分の生い立ちや母親との関係、若くして女子プロレス界を背負う程にあった自分の存在への重圧、その中での番組出演というプロレスラーの名を背負った上での大きなプロモーション活動。

 

いえ、申し訳ありません。私がこういう彼女の死の因果関係をまるで探るかの如くここで書くのは違いますね。木村花選手を一番に応援し続けていたファンの方々、申し訳ありません。ですが私もプロレスラーへの愛を持ち続けるいちプロレスファンとして、惜しい気持ちと悲しいこの感情を少しでも共有させてもらえないでしょうか。

 

言葉を続けます。

 

彼女はプロレスラーとしてはいわゆる二世です、引退した木村響子選手の娘であり、幼い頃から母親のプロレスを近くで観ていた下地も備わっていたこ事も付随し、デビュー時から既にその選手としての“華”は群を抜いていたのです。

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デビューから22歳に至るまで、華々しくプロレスのキャリアを積み上げていきました。花開いていく、まさにこう形容する言葉そのままの選手であった木村花というプロレスラー。

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ただしどんなに若くて強い選手でも、プロレスにおける『物語』とは時間軸の紆余曲折が織り成す事でしか中身を濃く色づけできないのです。

 

プロレスラーとしての物語を構築していくには時間がかかります。

団体での立ち位置、選手間でのライバル心や嫉妬、ファンからの評価、スタイルの変貌。本人の試行錯誤が功を奏する場合もあれば、どんなにあがいても抜け出せないトンネルで立ち往生するしかないジレンマも抱えたり。

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いつかの日の為に、いつかのプロレス時間軸が繋がるその瞬間の為に。

 

こんなにも時間経過を要するエンターテイメントはなかなかありません、言い換えればそれこそがプロレスの醍醐味とも呼べます。

 

その時間経過たる忍耐の苦しみに何度も立ち上がろうとする姿こそがプロレスラーの生き様となり、存在の証明とされる。

だから例え怪我をしてもカムバックしようとする選手も多く、更には引退しても死ぬまでプロレスラーと口にする選手もいるのです。

 

それはなぜか?

 

長期欠場を要する程の大きな怪我を負ってしまえば、もしリハビリを終えカムバックできたとしても、復帰する前の動きはもうできないかもしれない。

 

元には戻らないという現実と戦うその勇気、精彩を欠いた自分の肉体をなんとか精一杯動かそうとするその姿にもプロレスの物語はそのままに綴られるはず。

 

そして、引退してもうリングの上での戦う姿を見せられなくなったとしても、いつだって私達ファンの頭の中にはその選手の入場曲が流れ続けています。

物語は鳴り止まない、プロレスラーがプロレスラーの名を捨てない限り。

 

木村花選手の試合動画を改めて観てみると、とにかく表情が良い。

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“華”があるとはよく言うけれど、それはただ単にルックスが良ければその“華”という形容をつけていい訳ではありません。

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要は感嘆に言うと“絵になる”という事を指します。

 

そして時に、技の応酬や派手な動きの攻防の中での分かりやすい見栄えだけに限定されるのでは無く、試合直前に見せた佇まいにも“華”はほんの一瞬満面に咲くのです。

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こういった絵になる場面を魅せてくれる選手に私達は様々な心の抑揚を感じ取ったり、感情の起伏を何かしらの表現もしくは記号として受け取るようになっていくわけですね。

 

木村花というプロレスラーをずっと前から観続け彼女のファンで居続けた方々にとって、今回の彼女の悲しい死で物語の唐突な断絶に陥り一種の引きずった感覚に襲われているのではないでしょうか。

 

簡単には切り替えられるはずがない。

 

でも、それでもいい。それでもいいんです、物語は鳴り止まない。

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木村花ファンの人たちの胸の奥で、ずっと密かに鳴り続ける。

 

 

またいつか、他の誰かの物語で木村花の物語に続きがあるかもしれない。

 

それが物語は鳴り止まないという事なのだから。

 

引きずったままでもいい。

それでいい。