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こんばんは、執筆者のザ・クスノキです。
今回のブログ更新は記事というよりただのご報告でしかなく、覗きに来ていただいた方には申し訳無く思いつつも、取り留めのない言葉を少しばかり書き記しておきたい気持ちに流されてしまいました。
そんな有意義に欠けた文章だとしても、ふらっと言葉にしてみたくなったのです。
明日、久しぶりの生観戦に出向きます。
新日本プロレス11.3エディオンアリーナ大会。
私の現在の居所は都会ではありません。東京に行くには飛行機でなければ困難な距離であり、大阪へ足を運ぶにしても一苦労です。
自分の好きなモノを観に行く為なら足を運ぶ時間さえ嬉しい気持ちでいっぱいになることはなるのですが、やはりたまに口惜しい気持ちになることもしばしば。
もし東京に住んでいれば、後楽園ホール観戦に定期的に行けるのに…とか。都会に住んでいればもっとビックマッチにも観戦頻度を増やせるのに…とかとか。
だけと仕方ありません、私だけじゃないでしょうから。
私と同じように地方に居所を置く身の方々ならば誰もが口惜しい感情を押し殺しながらも、唇をきゅっと噛みながらも、久々の生観戦の予定が近づいてきた来た時の高揚と緊張を胸いっぱいにしている事でしょうね。
異空間へ出向く私達。
非日常へ溶け込む私達。
物語の観測者となる為、私達はそれぞれの日常を置いていく。
繰り返される生活の中で、私達はそれぞれの重圧を抱え、他者からの干渉と示し合わせたかの様な距離感の中で自分を見失うギリギリの寸前を保っています。
いや、もう保ててない人も居るかもしれない。
心を保つ、一体どこにそんな保証がありますでしょうか。
ええ、残念ですがありませんよ。
たとえ自分は自分と決め込んでいても大抵の人は“日常”のジレンマに埋没し、個と共同体の狭間の塵にも満たない程に浮遊しておくしかありません。
しかしそれは生きる為、死なない為に微かな知恵の振り絞りを私達は生活の中で耐え間無く刻んでいるのです。
幸福だとか不幸だとか、それが人に課せられた命題だと誰がいつ決めたのでしょうか。どんな立場で、何を犠牲にして審判を下したのでしょうか。
さっきも言いました、でももう一度言います。
それらの保証はあるんですか?ありません。
これは希望が無いと言っているんじゃなく、ただただ保証が無いのです。
だからこんなにも私達の“日常”は苦しい、淡々としたサイクルに時折覗く喜びも慰め程度にしかなりません。
釣り合いが取れていないんです。
苦しみだけとは言いませんが、それを上回る喜びを継続かつ最大積載量で積んで貰えなければ私達の「生活」とやらには絶対的に釣り合いが取れていないはずです。
楽しみ、嬉しさ、生きがい。
これは遠慮がちに欲するものであっては本来ダメなんです。有り余る位で丁度良い。死に向かうのが人生の旅路なら、これくらいでトントンなはず。
“日常”はいつも在る。
切り離せない。
切り離せない?
本当に?
永遠には無理でも、ひとときなら可能です。
それはどんなひととき?
そうです、『物語』に耽る時です。
私は明日、物語を読みに行ってきます。
“日常”はしばし置いていく。
時計の針は前夜。
では、また明日。
◆最後まで読んで下さり嬉しいです。
次回記事更新にて、また覗きに来て下さいね。
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