前回の記事更新から少し時間が空いてしまいました。よって冒頭の挨拶はお久しぶりです、から記事を始めさせて頂きます。
そしてもちろんいつも通り、名乗ります。
筆者のザ・クスノキです。
不覚にも、夏の暑さにやられ精神的にも肉体的にも余裕の無い日々を過ごしておりました。なかなか記事更新する為のタイミングを作れず、だけど早くまた記事を書きたいという欲求を燻らせながら、夏の終わりを迎えていた次第です。
G1クライマックスが終わり、プロレスの真夏が終わった後には暦の上での夏も終わり、まるで二回も夏が終幕を迎えた気分の私ですが、夏の終わりというあまりにも情緒を刺激する時間の経過は四季の中でも群を抜いてどこか寂しさと切なさと甘酸っぱさを伴うもの。
全く関係無い話で申し訳無いのですが、皆さんは夏の終わりを迎える時にはどんな音楽が頭の中によぎりますか?
ちなみに私は「Summer」です。
北野武監督の映画「菊次郎の夏」でおなじみの久石譲作曲のSummerです。
定番といえば定番ですが、音楽がここまで季節と人間の情緒を結びつけるのかと強く思わずには居られないこの曲。人間は感情表現において音楽一つでとても美しい物体になれる、感情はいつだって何かからの呼応を待っています。
今回の記事のタイトル、はっきりいって雰囲気英語です。英語が堪能な方からすればなんじゃそりゃと言われてしまう様な適当な英語ですが、しかしタイトルを考える時にどうしても雰囲気が先行してしまうのは致し方ないのです。
記事を書き終えた時、もしくは記事を書き始めた時の私のテンションがその雰囲気を決めるのであって、記事の内容は計画的なものであっても、それにタイトルをつける瞬間だけはあまりにも雰囲気に頼ってしまう始末。
私の場合、タイトルに言葉の重心を置くつもりはあまりませんが、内容をそのまま説明するタイトルではさすがに面白味に欠けるというちっぽけなプライドも持ち合わせている為、それならせめて記事の勢いみたいなものをタイトルで表現できればいいなという気持ちです。
ご託はこれくらいに。英語ではなく雰囲気を表したカタカナの題としておきましょう。
そんなこんなですが、またしても前置きが余計だったかもしれない所はこのブログのご愛敬。
本題に入りますね。
つい先日、私にとっては非常に気になった話題がありました。
現在、ヤングライオン杯が開戦し日本と海外勢の若獅子達が道場の看板をその身に背負い肉体をぶつけあっています。
冒頭で夏の終わりを感慨として文脈を繋げていましたが、実際のこの日本では残暑が猛威を振るってしまっており、はっきり言って感慨に耽る落ち着きはなかなか・・・。
そしてそれに触発されるかの如く新日本プロレスではヤングライオン達がむさ苦しい程の暑さを私達に見せ付けてくれる。ヤングライオン杯は絶賛熱中大稼働。
まるで俺達のG1だ!と言わんばかりのヤングライオン達には夏が終わったという感慨など必要無いのかもしれません。若獅子の魂は燃焼し続けてこそ。
そんなヤングライオン杯開戦と同時に、新日本プロレスへ海外からヤングライオンを送り込んできたLA道場のヘッドコーチである柴田勝頼のインタビューが公式サイトにて掲載されていました。
内容の濃さもさることながら、LA道場生達への感情移入も読めば一気に加速する事間違い無し。そして何よりも、柴田勝頼自身の物語も継続中である事が感じられるインタビュー内容。
その中から挙げたい事はいくつもありますし、本来であればじっくりと柴田勝頼のインタビューを堪能する心づもりでいたのですが、今回はあえて焦点を絞ります。
それは、LA道場生のアレックス・コグリン選手について柴田選手が話したとある内容。
まずはその箇所をそのまま引用しますので、読んで頂きたく思います。
「生まれてから怒ったことがない」って言ってました(苦笑)。
なんか次元が違う生き方をしてきたというか、本当に赤ちゃんみたいで……。
最初の頃「リングで怒りを見せろ!」と気合を入れるように言っても、「怒ったことがないから、どうすればいいかわからない……」と言われたことがありましたね。
新日本プロレス公式サイト
【無料公開】“LA道場コーチ”柴田勝頼に直撃インタビュー!より引用
驚きました。
いや、改めて考えさせられたと言うべきでしょうか。
皆様、お気づきでしょうか?このアレックス・コグリンという選手があまりに貴重な素材である事に。
私は何度も自分のプロレスブログにおいて感情というワードを使いました。あまりに多用しすぎたこのワードで私のブログ内は溢れかえっている程です。くどい位に、しつこい位に感情という単語を打って打って打ちまくった。
プロレスが感情のドキュメントそのもであるからこそ、物語は偶然も必然もすべて飲み込み、孕み、そしてまた産む。
柴田勝頼はリング上での作法として、感情を大前提にしてプロレスラーの戦いを体現しようとする選手です。技術や肉体の洗練を疎かにするわけではありませんが、あくまでも感情の放出を最優先にしなければプロレスラーとしての生き様は表現できないという考え方なのではないでしょうか。
レスラーとして物語性にまだ乏しいヤングライオンにとって、まずはリングで向かい合った相手への怒りを出す事くらいはできるはず。受けた技の痛み、相手を超えたいという闘志、それらは怒りを以てして表現するのです。
でもちょっと待って下さい、、、
ここまで書いていて思うのは、怒りという感情があたかも人間であるならば至極当然の抱えたモノであるという大前提に立った文章でしかありません。しかし、もしもこの怒りという感情が圧倒的に乏しい、はたまた欠落した人間であったならどうするのか?
プロレスの話の中ではなぜ私は忘れていたのでしょうか。とんだうっかり。
世の中には居るのです、怒った事が無い人間が。そう、アレックス・コグリン選手もその類の人間だったのです。
誤解の無いように書き足しますが、決して無機質な人間というレッテルを張るわけではありません。考えてみれば、産まれた時から他人に対して激しい怒りを向ける必要が無かった環境にあったという境遇説、もしくは怒りの感情の代わりに他の感情(悲しさ?)が先に発動してしまい怒りという衝動にまで伸びないだけ、といった想定はあり充分に有り得ます。
アレックス・コグリンという物語。
これは非常に興味深い物語です。
プロレスラーはプロレスラーになる前から喜怒哀楽の感情を持ち合わせてるとして、それぞれがその持ち合わせていた感情を更にプロレスを通した中でいかに表現し爆発させ、繋げていくか。でもアレックス選手は少し異なるわけです。怒りという感情においては、彼はゼロからの起点になるのです。プロレスを通して彼は無理矢理にでも「怒り」という感情を身につけていかなければならない。
今、ヤングライオン杯の試合の中で見せる彼の表情や雰囲気は、まだまだ暗中模索のたどたどしいものなのだと思います。この柴田勝頼のインタビューで明かされていなければ、一見分からないかもしれません。
“生まれてから怒ったことがない”
今はまだ、柴田コーチの指導による受け売りの怒り、そして他の選手の見様見真似の怒りをやっているのかもしれません。
ヤングライオンのうちからこんなにも物語性を秘めたキャラクターはなかなか居ませんよ。
プロレスの中で怒りという感情に目覚めていく物語、プロレスラーという生き様を職業とするストーリーの中で感情のゼロを起点とした成長譚。
他者に向けての怒り、自分に対しての怒り。ベクトルはどちらにせよ、彼が人前で怒りを出していくシチェーションの連続の中でどれだけの抵抗や不安を感じているかは実際は分かりません。ただ、感情の主体性をとても重要視する柴田イズムのスパルタ指導の下にその身を置くアレックス選手ですから、「怒り」の見栄え位はこの短期間でもそれなりに作られたかもしれません。
でもそれでいいのです、今はまだ。
感情の伸びしろ、こんなにも期待のできる選手の行く末があると思えば今はまだ無理矢理にでも怒りをこなすその姿に密かに胸を打たれておきましょう。あくまでも密かに。
彼の物語はゼロからのエモーション。
いつか純度100%の怒りを引き起こす何かが待っているとするならば、どんな物語を要するのでしょうか?
仲間の裏切り?
ライバルへの嫉妬?
ファンとの摩擦?
自分への失望?
素材の味を存分に楽しむ為にも、皆さんならどんなバッド・ストーリーをお望みですか?
今の瞬間、さぞ悪い顔をしてたことでしょうね。
私も、 そして皆様も。
◆ここまで読んで下さり本当にありがとうございました。
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