物語をひねくれて読んではダメ?
気温は暖かさを取り戻し、四季の中でも至って平穏と呼ぶべきこの季節。
皆様はいかがお過ごしでしょうか?
こんばんは。筆者のクスノキです。
今回の記事内容はIWGPインターコンチをメインとした4・20愛知大会における感想をさらっと交えながら書きたいと思います。
やはり飯伏ですね、飯伏幸太。
MSGでタイトル奪取してからの初防衛戦となり、相手はザック・セイバーJr。
ザックについてはMSG直前に三回に渡り記事を書きました。物語殺しの異名を持つザック選手には私は期待を膨らませています、その私の期待度がやけに高いかはなぜでしょうね。
ちなみに、なぜ彼が物語り殺しなのかはぜひこちらの↓記事をお読み頂けたらと思います。肩の力をしっかりと抜いてからご一読を。
さて、飯伏。飯伏幸太。
なんでしょうか、皆さん今の飯伏にはどんな期待を抱いていますか?
ゴールデンラヴァーズから別れを告げ、新日本プロレスでの物語を紡ぐことに向き合い始めた飯伏。走りだしは最高のシチェエーションの中でしたが、NJCではいきなり二回戦敗退のつまづき。
彼のニュー・ストーリーはずっこけからの滑り出しでしたが、まだ焦ってはダメです。私はこの時に「始まらない物語」なんていう記事を書きました。
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この時はまだ言うなれば序の序。映画でいうなら上映予告。
だからまだ物語は始まっていない、しかしその可能性を損失したわけではなく、むしろストーリーの走行速度に溜めを作ったとなるのです。物語が跳ねるにはどのように溜めとジャンプ台を用意するか。始まったばかりなんですよ、要は。産まれて間もない存在、それへの最も有効な手立ては見守ること。
そう、今の飯伏幸太には見守るというスタンスを私達観る側は取るのがベターです。
すいません、自分に嘘をつきました。
申し訳ありません、私は自分にも飯伏幸太にも甘くなろうとしていました。見透かされるのが恥ずかしいから、自分からさっさと告白します。
今の飯伏幸太に違和感だらけです。始まった飯伏幸太の新しい物語はこの方向性でいいのでしょうか?
2018年の飯伏幸太はジレンマを背負った登場人物でした。
自分の立ち位置とケニーオメガとの関係性に苦悩を強いられたキャラクターになってしまっていた。一見良好な関係性がそのガラスの様な危うさを思わせ、ケニーとの間にある過去からずっと繋がっていた物語は感情のドキュメントそのままに楽しませてくれました。
でもあれは、もしかしたらケニーオメガの物語だったのかもしれない。ケニーオメガ物語の『ゴールデンラヴァーズの章』でしかなかったのかもしれない。
飯伏幸太の物語じゃなかった。そう捉えた人は多かったはず。だからケニーが去った後に爆発したんですよ、期待感が。2018年に膨れ上がった疑問、飯伏はケニーの横に居るだけでいいのか?この溜めがあったから2019年は「さあ飯伏幸太の物語を始めよう」となるんです。
物語の出発に際し、どこかのユニットに所属する選択をしていないのは安心しました。今の飯伏が本隊というど真ん中で戦おうとしているのは間違っていない。むしろ誰もがその選択を望んでいました。
しかし気になるのは彼の口から出てくる言葉が「棚橋」という名ばかり。
私の違和感の一つです。飯伏幸太という物語を始めなきゃいけない、それなのに彼はまだ「棚橋」を崇めるスタイルを発信しています。これはなぜなんでしょうか?飯伏はヤングライオンではありません、彼はもうキャリアを積んだ世界的にも名の広まったスター選手です。
挙句の果てには自身にとっての神を二人とし、せっかく得た念願の白いベルトにはその二人の神が居ると言う。片方の「中邑」という神は既に物語から去ったにも関わらず。
繋がりは大事です、もちろん物語はどこでどうその軸が繋がるかが見所です。しかし飯伏の今の段階は新しい自分の物語を始めるという作業の急務であるわけで、繋がりの軸を活用するセンテンスはまだまだ先の事。
エースの名や新日本にはもう居ない選手の名を使う事が果たして「飯伏幸太の物語を始める」となりますか?
それならばなぜケニーオメガにはもう一切触れないのでしょうか?その名前を触れる事には今はしたくない、そういう感情ならむしろそれでいい。
だからこそ、だからこそ!そのナイーブな部分は大事にすべきであって、飯伏の物語の始まりはどういう立ち位置で行くかは繊細でなきゃいけない気がします。
飯伏が神と崇めるエース棚橋はケニーオメガを「主人公の敵」にした相手です。
飯伏はその相手に思う所はないのか、あの日あの時どんな気持ちを抱えていたのか。それらは本当に消化できたのか。この流れを踏まえずに物語を進めるかどうかは確かに難しい所でしょうが、せめて匂わす余地は残していくべきだと思います。
過去は振り返らない、これほどつまらない物語展開はありません。物語の主人公は葛藤とジレンマに浮き沈みしてこそ。
過去を引きずる事もある、だけど未来は待ってくれない。この焦燥感が今の飯伏には全くない。彼の本当の魅力はなんなのか?
ヒールになる必要は断じてありません、ですが円満で順々な「陽」しか纏わない飯伏も何か違う。
だって観てください、この表情。
こんな表情するキャラクターですよ、飯伏の中に在る狂気をただの定番どころのお家芸程度にしちゃいけません。
神なんて要らない、物語を創るのは自分の遊びが全て。愛憎を一杯に詰め込んで、少年の様な無邪気さを持つからこそ感情の狭間で苦しんでほしい。
自分と他人、そこに葛藤してほしい。
マイクパフォーマンスが危うくってもいい、バックステージコメントが支離滅裂気味でも構わない。飯伏の魅力はどこか綱渡りな所。そして新しい物語では綱渡りでもロープの前に視線を向けることを始めた。
棚橋と仲良く写真を撮ったりするのもいいけど、それなら2018年の飯伏はなんだったんでしょうか。棚橋の狡猾な上手さに乗せられないよう用心するべきなのに。楽しそうです、今の飯伏。
捻くれた私を尻目に、飯伏は乾杯の音頭
本当に楽しそう、飯伏。
やっぱり物語を見守ります。
まだ、これからです。そう、これからだから。
ところで余談ですが、今回の内藤のリマッチもどうにも頭をかしげます。
挑戦者が颯爽と試合後に名乗りを上げるのは私も大好きなシーンですが、ん?ここで内藤??となった方は少なからず居たはず。
前王者のリマッチ権行使は今に始まった事じゃないのでさておき、確かこの白いベルトについては自分は望んでいないにも関わらずといったニュアンスを内藤選手は言葉にしていませんでしたか??
そのニュアンスで言及しているとなると自分からのリマッチ即挑戦は少しばかり齟齬が目立ちます。内藤らしくない。でも内藤VS飯伏は鉄板カードですから内容もチケットの見込みも織り込み済み。それは分かります、興業ですからね。
でもちょっと流れを見るなら雑すぎる様な気も。。加えて、ベルトを失い今自分にテーマが無いと上手いボヤキも言葉にしていたのになぜ、、、
まあこれが雑と見せかけての、後になにかの因縁や物語の転換に繋がっていければ結果オーライとなるかもしれません。でも過程は大事ですよ。
更に余談を。
上村優也と辻陽太、雰囲気が良いですね。素晴らしい。
この雰囲気が良いという大雑把な印象こそがヤングライオンとして可能性を感じさせてくれるんです。未知でいい、今のうちからオリジナルなんていう具体性は掴まなくいい。雰囲気だけでいんです。
昨今、期待を背負ったヤングライオンの退団が続いています。八木、北村、金光。惜しい事ですが、彼ら自身の物語は一つではなく、その舞台を変えるのは人生において至ってよくある決断です。
上村と辻、この二人のライバルストーリーをいつかこの「新日本で物語る!」においても書く機会が来る事でしょう。
何年後になるかは分かりませんが、待ちますよ。物語は待ってこそ。
この二人の物語もまた、見守る事としましょう。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
今後も自分なりに楽しく書いていきますので応援を宜しくお願い致します。
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