もげかけた片翼を背に、堕天使が新日本を去ろうとしている。
当プロレス記事記念すべき一題目はケニーオメガというレスラーから書いてみたいと思います。
まずはケニーのプロレスラーとしての旅の「道のり」を綴ります。(※誤りや過不足な記載は多分にあるやもしれませんが大目に見てもらえたらありがたいです、想像と妄想の部分が大半かもしれません)
カナダのウィニペグという町で生まれ育った彼は幼少期からTVのプロレス番組に夢中になり、遊びの範疇とはいえ十代の頃には小規模にもお客を集めたプロレスショーたるものを企画し実践するほど。そして17歳位の頃に地元のインディ団体で本格的にプロレスラーデビュー。しかし十代におけるケニーはプロレス以外にもホッケーや短編映画の俳優活動等も同時に行い多忙な青春期を謳歌。だがもちろんプロレスラーとしての道を選択する、その後はしばらくアメリカのインディー団体を渡り歩く。
この時期アメリカ最大手の団体WWEの傘下となる団体でも戦った経験もするが、「ロボットに作られるようだ」との理由で自主退団となる。
彼のこの時の「機械の様に働かされるのはイヤだ」という強い嫌悪感こそが、後の新日本プロレスでの自己プロデュース力、プロレスラーとしてのキャラ作り、ケニーオメガというストーリー構築への強い渇望、その為の“Change the world”が原動力の一つになったのでしょうか。
ケニーの<道のり>に話を戻します。2008年頃まではカナダとアメリカを主戦場としいくつかの団体を渡り歩くわけですが、この来歴は省略するとします。ケニーのパーソナルな部分に少し触れると、彼は元々ゲームマニアであり筋金入りのゲームオタクである。日本のゲームには特に影響を受けていると本人も幾度も各方面で語っており、それは日本へ渡る事への憧れの一つと言っていいほど。
だがしかし、もう一つ大きな理由がありそれはケニーオメガという物語が転んでいく先々で必要不可欠な要素になっていくわけです。そうそれは、ゴールーデンスター「飯伏幸太」というレスラーの存在です。ケニーは当時動画サイトで「イブシコウタ」という異質に瞬くプロレスラーを目にし、このイブシと一緒にプロレスがしたいという想いを心に宿してしまう。ケニーはイブシが居る日本を目指す事に。
ケニーは日本のDDTという団体と契約し所属、もちろんそこには飯伏幸太もいます。そのイブシと“ゴールデンラヴァーズ”という光輝くタッグチームを結成する事に。ケニーとイブシのコンビはまさに二人で一つ、二人で一つの翼の如く華麗に舞っていました。片翼の白い羽を生やしたこの時のケニーはまるで天使、そんな天使がのちに堕天使になるなんて・・。
ケニーはこの時どんなストーリーを展望していたのでしょうか。世界を変える為に“主人公”になるか、はたまた魔王になるか。
何者になるかは物語次第、なのでしょうね。
さて、話を改めて戻します。DDTでは説明するまでもなく大活躍、イブシと共にDDTの人気レスラーとして光輝きます、眩しい程に。この時の歩みは、後に新日本プロレスで起こる“ゴールデンラヴァーズ再結成”へのインパクトをより膨らませるわけで。そうこうしているうちに2012年、日本武道館でDDTの王座を賭けてイブシとケニーが対角線に立つ事に。
並び立っていた片翼はまるで一つの翼のようでしたが、相対した時にもそれは翼のようになるのでしょうか。しかし私が思うにこの時期のケニーは自身で生やした羽では無く、イブシにもらった片翼で飛んでいるに過ぎなかったのかもね。あくまでも私個人の印象ですが。
それとこの時のイブシはケニーをどのように見ていたのでしょうか、今回はイブシ視点には触れませんがまた違うストーリ構築が展開できるはず。いずれ生やす事となるケニーの羽の色が黒く染まっていると知っていたのか、知る由もなかったのか・・イブシの心中はいかに、とかね。
この試合の勝者はイブシでした。危険な技の応酬と派手でハイリスクなパフォーマンス、試合は壮絶なものに。一歩間違えば本人達も観る側も全てが壊れてしまう程だった。しかし、リング上に舞う羽は血に染まりながらもスポットライトに照射され、光り輝いていたのは言うまでもありません。
2013年、イブシがDDTと新日本のダブル所属契約を発表します。
そして2014年、ケニーオメガはイブシの後を追うように(※この時イブシはDDTと新日本にダブル契約所属していた)新日本へ移籍、ここからケニーオメガ物語の第二章が幕開けとなるのです。
後編は次回の記事で書きます、続けて読んで貰えたら嬉しいです。
つづきです↓
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